医療訴訟における証明度再考(相当程度の蓋然性という考え方)
1 訴訟における証明度について
訴訟においては、事実の認定に関して原則として原告側に証明責任があり、認容判決を得るためには、自身の主張を裏付けるだけの証拠を提出して裁判官にその旨の心証を抱かせる必要があります。
では、どの程度のレベルまで至れば証明ができたといえるのでしょうか(これを「証明度」の問題といいます)。
証明度の基準は、リーディングケースである東大ルンバール事件判決(最判昭和50年10月24日民集29巻9号1417頁)で採用された「高度の蓋然性」とされています。この「高度の蓋然性」のレベルとしては、80%とされていることが多いです。大阪地裁医事部の裁判長を務めた経験がある大島眞一裁判官も「あえて数字で説明すると、80%程度確かであるという状態を指す」と述べておられます[1]。
2 医療訴訟において高い証明度を採用する場合の不合理性
医療訴訟においては、特に因果関係において証明度が問題となることが多いですが、患者側で80%の壁を超えることは非常にハードルが高いです。
被告である医療機関側からは、被害者の死亡ないし後遺障害という悪結果発生の原因として、原告側が主張する疾患Aで発生したのではなく、被告側から他の疾患Bで生じたと主張されることが多いです(「他原因の主張」といわれます)。
このような他原因が主張される場合、専門医師による鑑定を踏まえても、なお真の原因が何であるかを確定することはできないことが多く、これを80%のレベルでの立証が求められるとすると、原告側に不可能を強いることに等しくなります。実際、私が経験した案件では、患者に重大な脳障害が残った原因として原告側はAを主張し、被告側はAの発生を否定はしないものの、Bという他原因も影響している旨主張していました。この場合、AとBは二者択一ではなく併存ということになるのですが、それでも裁判所は、A単独によって後遺症が発生したという証明ができていないとして高度の蓋然性を否定しました。しかし、このようなケースで立証責任を理由にして、因果関係を否定することが果たして妥当なのでしょうか。
最高裁の判例法理によれば、「高度の蓋然性」レベルでの証明に至っていない場合でも、「相当程度の可能性」のレベルでの立証ができれば救済の余地はあります(最判平成12年9月22日民集54巻7号2574頁)。しかし、「高度の蓋然性」が認められる場合は基本的に慰謝料に限られず相当因果関係がある損害は全て含まれるのに対し、「相当程度の可能性」の場合は慰謝料しか認められず、金額として非常に大きな開きがあります。つまり、80%を超えるか否かで、損害額に極めて大きな差が生じることになります。また、「相当程度の可能性」法理があることが、却って裁判所による高度の蓋然性の認定のハードルを上げているという問題点も指摘されています[2]。
この「高度の蓋然性」の壁の問題は、患者側で活動している弁護士にとっては大きな負担です。平成27年に開催された医療問題研究会の全国交流集会の大阪の発表テーマもまさにこの点でした。
3 須藤論文‐相当程度の蓋然性という概念
そもそも、原則的な証明度を「高度の蓋然性」(もしくは80%)に設定することに合理性があるのか否かが問われるべきでしょう。
この点について、非常に参考になる論稿がありました。須藤典明弁護士(元裁判官)の「民事裁判における原則的証明度としての相当程度の蓋然性」(伊藤眞先生古稀祝賀論文集「民事手続の現代的使命」(有斐閣))です。
須藤論文では、事実認定の原則的証明度としては高度の蓋然性ではなく「相当程度の蓋然性」を採用すべきであり、相当程度の優劣の差がある場合(6対4程度の差)があれば当該事実を認定すべきとしています。
同論文で特に感銘を受けたのは、「消極的誤判」に配慮している点です。つまり、高度の蓋然性の正当化根拠として、証明度を高めることにより事実認定の精度が高まる誤判の可能性が低くなる点がよく主張されますが、須藤論文は、誤判には「積極的誤判」(認定した事実が真実ではない場合)と「消極的誤判」(真実であったのに認定されなかった場合)の2種類があると類型化します。高度の蓋然性の採用により証明度を高めると積極的誤判の可能性は低くなるが、その反面で消極的誤判の可能性が高くなることになります。「消極的誤判を無視した実体的真実は虚構であろう」と述べておられます。
そして、6対4程度の優劣性を要件とすれば、その心証が逆転することはほぼなく、個々の裁判官による判断のブレもなくなるとしています。
積極的誤判だけでなく消極的誤判も回避するための非常にバランスのとれた立論といえるでしょう。
4 まとめ
今の裁判所が須藤論文の考えをすぐに取り入れる可能性は低いと思いますが、患者側代理人としては、証明度に関する「80%の壁」を打ち崩すため、この論文は1つの大きな武器となり得ると考えます。特に誤判を避けるために80%の証明度が必要とする従来の考えについては、「消極的誤判」の問題を持ち出すことで有力な反論となるでしょう。
なお、証明度を下げる見解に対する批判として、6対4程度の差がある場合でも因果関係を認めるとなると、不明確な部分が多い場合でも全損害を医療機関側に負わせることになるのはバランスを欠くという主張が考えられます。これについては、損害の公平な分担という観点から、素因減額あるいは過失相殺の類推法理によって減額をする余地があると考えます。
将来的には、この高度の蓋然性という概念自体、見直しが必要ではないかと考えています。
上村裕是
[1] 大島眞一「医療訴訟の現状と将来‐最高裁判例の到達点‐」判例タイムズNo.1401・5頁
[2] 石川寛俊・大場めぐみ「医療訴訟における『相当程度の可能性』の漂流」(法と政治61巻3号518頁)